24歳の詩人が見た「青い空」――『夢みたものは……』に込める祈り

合唱団フェリーチェでは、様々な曲を練習していますが、単に音をなぞるだけでなく、その詩の解釈を深めることをとても大切にしています。詩の背景を知り、そこに込められた想いを想像することは、演奏の方向性を決める重要な要素であり、合唱の大きな楽しみ方でもあると信じているからです。

今回ご紹介するのは、立原道造の詩

『夢みたものは……』です。

私はこの詩に、ある「祈り」を感じました。

それは、わずか24歳でこの世を去った立原道造が、昭和17年という、世界が色を失いつつあった時代に、病床で必死に描き出した「未来への夢」だったのではないかと思うのです。

昭和17年、日傘をさす娘たちの違和感

詩の中には、日傘をさした田舎の娘たちが、美しく着飾って唄い、大きな輪を描いて踊る光景が描かれています。

しかし、少し歴史を紐解けば、昭和17年当時の日本は戦争の足音が激しくなり、「贅沢は敵」とされた時代です。モノクロームに染まっていく現実に、田舎の娘たちが日傘をさして優雅に踊る余裕など、到底なかったはずです。日傘をさして歩くのは、ほんの一握りの、恵まれた人たちだけだったかもしれません。

けれど立原は、あえてその「美しさ」を、すべての「田舎の娘ら」が享受できる風景として描きました。それは、身分も貧富の差も関係ない、真の平和への憧れだったのではないでしょうか。

「青い鳥」が象徴する、境界のない自由

詩の中で歌っているのは、低い枝にとまった「青い翼の一羽の小鳥」です。

鳥は、空を自由に飛ぶことができます。国境も、身分も、戦況も関係なく、ただ美しい声で歌う存在。彼にとっての鳥は、人間が本来持っているはずの、何にも縛られない「自由」の象徴だったように思えてなりません。

夢みたものは ひとつの幸福

ねがったものは ひとつの愛

愛や夢を口にすることすら憚られるようになった時代に、彼はあえてこの言葉を綴りました。

「それらはすべてここに ある」という断言

詩の最後、彼はこう結びます。

それらはすべてここに ある と

この「ここ」とは、一体どこなのでしょうか。

病床にあった彼が見ていたのは、当時の厳しい現実ではなく、いつか必ず訪れるはずの「誰もが日曜日の青い空を心から楽しめる未来」だった。私はそう解釈して、この曲を歌いたいと考えています。

彼が夢みた「愛も、歌も、踊りも、誰もが享受できる世界」。

それは、今の私たちが当たり前に過ごしている、この日常そのものかもしれません。

結び:祈りを込めて、今を歌う

この詩は、おそらく単なるのどかな風景画ではありません。

「こんな世界になってほしい」と願った、24歳の青年の切実な祈りです。その祈りを現代の空気に響かせること。彼が夢見た「幸福」の中に今、私たちは生きているのだという感謝を込めて、フェリーチェらしい演奏の表現を作ってみたいと思っています。

立原道造が見た、どこまでも高い「青い空」を一緒に想像しながら、心を込めて歌いましょう!

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